「由利十二頭」について調査していたところ、「薬師十二神将」との関連を伺い、像が安置されている「森子大物忌神社(国有形文化財)」を訪れてきました。
※拝観は要アポイントメント
宮司さんに先導され途中まで車で登ったのですが、かなりの急勾配です。そして対向車がいてもすれ違う場所がほとんど無いため、麓の駐車場に車を置いて参道を徒歩で登ることをお勧めします。
拝殿の脇には鳥海山の登山口があります。現在でもここを歩くハイカーの方がいるようですが、昔から修験者が利用していた信仰の道です。
この「滝沢口登拝道」は国史跡鳥海山に正式に追加指定されています。
梁には六郷家の家紋が。森子大物忌神社は、十二頭時代以降本荘藩主であった六郷氏が、400年前に創建したそうです。
境内の巨木と石仏。この石仏は慈覚大師円仁が彫ったと言われているそうです。またこの地区の杉は、節が少なく全国的にも評判の良かったそうです。
内部はこんな感じです。参拝者はおりませんでしたが、例年4月に例大祭が行われています。
特別に鍵を開けて頂き奥に入ると、正面にさらに扉が。ここには秘仏薬師如来が安置されているとのことです。そしてその両脇に並ぶのが、日光菩薩、月光菩薩と十二神将です。
十二神将とは
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るという。そのため十二支が配当される。また、十二神将にはそれぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来・菩薩・明王がある。
各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属夜叉を率い、それは人間の持つ煩悩の数に対応しているという。
- 宮毘羅大将
- 伐折羅大将
- 迷企羅大将
- 安底羅大将
- 頞儞羅大将
- 珊底羅大将
- 因達羅大将
- 波夷羅大将
- 摩虎羅大将
- 真達羅大将
- 招杜羅大将
- 毘羯羅大将
Wikipediaより引用
見上げると天井には龍の絵が。ここだけ見ると、神社というよりお寺です。宮司さんの話によると、明治期の神仏分離までここは「龍胴寺」という天台宗の寺院だったそうです。天台宗であれば慈覚大師が彫った石像があるというのも頷けます。
鳥海山を挟んで山形県側の遊佐には、「龍頭寺」というお寺が現存しているそうです。頭と胴で対になっていたのでしょうか。また遊佐には日光川、月光川があり、鳥海山を薬師如来に見立てると、自然の中に薬師三尊が構成されるとか。非常に興味深いお話でした。
本題の十二神将像の話に戻ると、廃仏毀釈の流れもあり、全部揃って現存しているケースは全国的にも珍しいそうです。では何故これらの銅像は難を逃れることが出来たのか。それは、前にも書いた急な長い石段を明治政府の役人が登りたくなかったから、それだけだそうです(笑)
最後に例大祭で使われる神輿を見せて頂きました。脇にある提灯は御幣を模した物で、この形状も全国的には珍しいようです。
帰り際山を降りる途中に護摩壇跡がありました。ここで柴燈護摩供をしていたようですが、男性が座る場所、女性が座る場所と明確に分けられていたようです。
またもっと山を降ると不動明王が祀られている祠がありました。管理者が違うということで今回は見ることが出来ませんでしたが、護摩と不動明王と修験、つながりますね。
麓の駐車場の脇にあった亀福院の湯。これは冷泉らしく、宮司さんが子供の頃は入ることが出来たようです。
少し離れたところには庚申塚がありました。昔は本殿で夜明かしをしていたのでしょうか。この辺りに住んでいた人達の信仰深さを感じることが出来ました。
今回は由利十二頭と薬師十二神将の関連性を調査することが目的だったのですが、古代から続く鳥海山信仰の話まで伺うことが出来ました。今のところ全然知られていませんが、観光集客にも使えそうですね。